
だいぶ前にテレ朝とテレ東の意外な過去について書きましたが、
今回はフジテレビについて書こうと思います。
テレビ界でトップを走っているフジですが、
常に上位のテレビ局ではなく苦難の道があったわけです。
フジテレビはニッポン放送と文化放送と東宝と松竹などが
出資したテレビ局で、設立時はカタカナではなく漢字の”富士”テレビでした。
社名の由来は海外にも自らネットワークを広げようと計画、
日本の象徴である”富士”を採用したの由来から来てるそうです。
漢字からカタカナに変更した理由は
子供でも読めるようにカタカナにしという訳です。
局舎は新宿駅と市谷駐屯地の間にある河田町の高台に局舎を設け、
お台場移転するまでありました。
当初はチャンネルは1チャンネルを狙っていたが、
NHKに先に獲られてしまい、結局8チャンネルに収まった。
このチャンネルナンバーの8が今後の幸運をもたらす事になるのです。
まずは大阪とのネット局がすんなりと決まったことだ。
共通点が多い関西テレビとネット関係を結びます。
チャンネルナンバーが同じ8チャンネルで、
互いに産経新聞が出資している点と、
東宝がフジに出資している。阪急電鉄が関テレに出資と、
同じ阪急東宝グループに属している点がネット関係の決め手となった。
強固な関係となるわけです。
それとリモコンが真ん中にある点が自然とチャンネルあわせ易くなり、
視聴率トップに君臨しているのも大きく貢献している。
だがリモコンがない時代はダイヤル式で、
リモコンが普及するまでは苦しい時代続きます。
フジは1959(昭和34)年3月に4番目のキー局として開局します。
「母と子どものフジテレビ」のキャッチコピーでお堅い局のイメージで、
先発の日テレとTBSに比べ人気がなく、
先に開局した教育局のNET(現・テレビ朝日)でさえも洋画ドラマモノに強く
これといった特徴もなく低迷気味でした。
そんな中でも帯番組「スター千一夜」や「ミュージックフェア」や
「キンカン素人民謡名人戦」などの息の長いお堅い番組を着実と定着させていきます。
またアニメも積極的で国産アニメ第1号「鉄腕アトム」をスタートさせ、
人気漫画をアニメ化を多く放送し、アニメのフジとも言われたくらいだ。
「サザエさん」が今でも続いてるのも承知の通りですね。
70年代に入ると、
「夜のヒットスタジオ」や「欽ドン!シリーズ」や
特番の「火曜ワイドスペシャル」や「ひらけ!ポンキッキ」などの
一定の人気番組はあるものの視聴率的に苦戦して
絶頂のTBSに比べれば到底及ばなかった。
低迷し続けたフジだったが1980年代に入るとある転機が訪れます。
「楽しくなければテレビじゃない」合言葉に
視聴率よりも楽しい番組をと路線が変わり、
横澤彪がプロデュースした「THE MANZAI」「オレたちひょうきん族」
「笑っていいとも!」など数々の人気番組が生まれ
1982年に念願の年間視聴率1位を達成。
1985(昭和60)年に8のマークから、
お馴染みのフジサンケイグループの目玉マークになり快進撃を続きます。
バラエティ番組の好調によりヒット作に無縁だった
ドラマにも幸運をもたらします。
業界ドラマものやトレンディードラマが次々と高視聴率を叩き出し、
月9や木10など枠で数々とヒット名作を生みだし話題リードしてきました。
深夜番組にも波及効果をもたらし人気番組を産んできた。
一時期日テレに首位の座を明け渡し2位に甘んじていたが、
日テレの不祥事で首位の座に返り咲き、今も人気局として好調を維持している。
だが好調をいいことに行き過ぎた表現や過度な報道で反感や批判にあうこともあり
フジの悪い面もはっきりしている短所もある。
最近ではイベントや映画制作や他局との同時中継も積極的に行なっています。
昔はトップではなく苦労していた局だったことがおわかりいただけたでしょうか。
良くも悪くもフジといったとこなんでしょうね。
テレ朝は学校教育放送していた?(2005年5月12日記事)
http://nanashi-nakaji.seesaa.net/article/3577797.html
テレビ東京は科学テレビ?(2005年5月14日記事)
http://nanashi-nakaji.seesaa.net/article/3632374.html
