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2008年06月05日

高島平団地の現実

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東京都北西部に位置する高島平。
高島平といえば団地を思い浮かべます。
高層団地の先駆けでもあり都内有数の団地です。

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高島平は1841(天保12)年に、砲術家・高島秋帆が
日本で初めての洋式砲術と洋式銃の公開演習を行なった場所だそうだ。
高島平の地名は高島秋帆の名にちなんで付けられました。

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高島平団地ができる前は農作地で、
当時の日本住宅公団(現・都市再生機構)が用地を買い取り、
一大団地開発から大きく変わりました。
団地開発と同時に都営地下鉄6号線(現・三田線)の
交通整備がされました。
1969(昭和42)年に開通したころの写真を見ると、
何もない原っぱでした。

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高島平団地の入居が1972(昭和47)年に始まりました。
都心へのアクセスが容易という立地の人気をよび
若年層が多くが入居しました。
計画的に公共機関が整備されて、
一気に2万人の住宅都市となりました。

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白亜の高層マンションが未来都市の様に見えて、
憧れの住宅でした。
世は高度経済成長の真っただ中で、
住宅の需要が多く住宅不足を解消するためという背景がありました。
言わばステータスのようなものでしたが、
その反面、ファミリー層が多かったため、
子供多く抽選しないと幼稚園や保育園に入園することができなかった。

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若年層や子供が多く若さと活気があふれていましたが、
年ごとに歳をかさねる訳で、高齢化が進む。
部屋が全体的に小粒のため狭く、
子供が成人すると独立する傾向が多く、親だけが残る。
団地の人口は減少傾向となり、高齢化が顕著に出ている。

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高島平団地だけではなく初期に作られた団地の問題となっている。
少子高齢化の時代に子供があまり見かけず、商店街も衰退している。

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原因としては建物の老朽化と物があふれているご時世に
部屋の間取りが小粒が多く使い勝手悪く、
ライフスタイルにあっていないのが最大の理由だそうだ。
公団なのでリフォームができないのもウィークポイントだ。

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立地はいいのだが、若年層を取り込めていないのが最大の問題だ。
建て替えにしても容易にはできない。
かつての華やかな団地が今や空室、老朽化、高齢化と
暗い影を落としている。

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posted by Na’See at 01:16| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 練馬・板橋・北区の風景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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