大都市の交通には欠かせない地下鉄。
今日12月30日で日本で始めて地下鉄が開通し、ちょうど80年になる。
今から80年前の1927(昭和2)年に東京地下鉄道が上野-浅草間が
開通しました。現在の銀座線です。
関東大震災による混乱と不況で資金不足で、長路線は作れず
当時の東京随一の浅草と北の玄関口の上野の区間だと
一定の重要が見込めるからだ。
銀座線1000系。地下鉄博物館で保存展示されている2年3ヶ月をかけて地下鉄工事を行ない
よくやく1927(昭和2)年12月30日に上野〜浅草間が開通した。
日本で初めての地下鉄ということもあり
2.2kmにもかかわらず各駅に珍しいもの見たさに
長蛇の列でごった返したという。
運賃は10銭均一で、ターンスタイルの自動改札機を導入し、
当時としては画期的だった。
その後上野〜萬世橋(秋葉原の南付近)を開通し、
神田、三越前まで小刻みに開通してきました。
三越前駅は駅名のとおり三越本店の真ん前を通るため
三越の前に駅ができると乗客を呼び込められる点と
乗客増にもつながるというお互いの利点が一致し、
三越が負担の申し入れによってできた駅です。
三越前駅は随所に三越の意向が反映されていて、
他の駅とは違うデザインとなっている。
また日本最初の駅エスカレーターを設置された。
そのことを知った上野松坂屋も目の前を通るのだから
なんとか駅を設置してほしいと頼み込み、
上野広小路駅ができた。
もちろん松坂屋が建設費を負担した。
三越前駅と上野広小路駅ができたおかげで、
地下鉄駅とデパートの建設タイアップが続く。
日本橋駅では白木屋(のちの東急百貨店、
現在は閉店しコレド日本橋があるところ)と高島屋が、
銀座では松屋と三越が、それぞれ建設費の一部を負担している。
これらの駅で今でも、車内アナウンスで
「次は日本橋、高島屋前」、「次は銀座 三越、松屋前」と
デパート名が告げられている。
銀座線沿線にデパートが多いのはその理由があるからだ。
1934(昭和9)年に浅草〜新橋間が開通したのだが、
その後利用者にとって不便なことが起きた。
銀座線は浅草〜渋谷間ですが、
渋谷〜新橋間は東京地下鉄道ではなくとう
東京横浜電鉄(現、東京急行電鉄)系列によってできた
東京高速鉄道が開通した路線です。
1938(昭和13)年11月18日に虎ノ門〜青山六丁目が開通します。
青山六丁目駅は現在の表参道駅(その前は神宮前駅)です。
同じ年の12月20日青山六丁目〜渋谷間が開通します。
銀座線の渋谷駅が東急東横店の3階にホームがある理由は
東急が関わっていための名残です。
翌年に虎ノ門〜新橋間が開通しました。
新橋で東京高速鉄道と東京地下鉄道との
直接乗り入れの予定だったのですが、東京地下鉄道側が拒否し、
東京高速鉄道はやむなく東京地下鉄道の隣接するところに
自前の駅を作った。1月15日から直通運転する9月16日まで
両線の乗客は徒歩による乗り換えを余儀なくされました。
現在の銀座線新橋駅は東京地下鉄道の新橋駅で、
東京高速鉄道の新橋駅は車両の留置線として使われていて、
幻の駅としてたまに公開される。
その後東京の地下鉄は、
戦時中の交通事業再編・統制を行うための
陸上交通事業調整法に基づき、
東京地下鉄道と東京高速鉄道が統合され
帝都高速度交通営団(営団地下鉄)として再出発した。
終戦から戦後から丸ノ内線を皮切りに地下鉄網は整備され
現在は東京メトロが8路線、都営が4路線の合計12路線となり
東京だけでなく大阪をはじめ日本各地に地下鉄が広がり
すっかりなくてはならない重要な交通手段となりした。
今でも地下鉄は進化を続け、
来年の6月には新宿三丁目経由の池袋〜渋谷間の副都心線が開通する。
西武池袋線と東武東上線と東急東横線との相互乗り入れと
ますます便利になってきています。
←見たらクリックのご協力お願いします。
posted by Na’See at 11:28| 東京 🌁|
Comment(0)
|
TrackBack(0)
|
雑学
|
|